買い物の基準。
自粛生活でそこまでオシャレしないけど、
着ていてそれなりに気分が上がるものを着たい。
できれば安く手に入れたい。というニーズに合致した。
昔はなけなしの給料でジルサンダーのファミリーセールに行って、
鞄やらいろいろ買った。
今思い出して引っ張り出したらまだ使える。形がオシャレ。使おう。
目的のない、ただただ自分のオシャレ欲を満たす服は買わなくなってしまった。
買った瞬間の気持ちの高ぶりを覚えている服は、2着。
手元にある。ニットとコートワンピース。
両方5万円オーバー。デザイナーズブランドもの。
そういう服、これから先買うんだろうか。
最近買うものといえば株。株は減価するときもあるけど返ってくる。
売買をして上がって売れた時の楽しさにかなう買い物はない。
お金でお金を買うというか、増やすことを知ってしまったら、
お金をモノに変えるのはリスクになる。
モノは基本的に消費される。
たまに値上がりするものもあるけれど。
服は買った時より値上がりすることはほぼない。
食器はや雑貨は値上がりする(経験済み)。
だから服に自己投資しなくなったのかな。
率が悪い。ファストファッションで質も悪い。
いいものを買おうとすると昔よりも高い気がする。
どんどんモノの値段は上がっている。
昔私が感じた買い物のときめきは、今の子たちも感じてるんだろうか。
土の時代のとくに2000年からの怒涛のリッチ感は結構なものだったと思う。
その時に10〜20代を過ごせてラッキーだったのかもしれない。
今はブランドでなくても、モード系の子すらいない。
普通の服を買って、自分が好きなように着る。
そういえば、自由や個性の時代というのに、
最近の特に若い子のファッションは一辺倒。
同じ色味に同じ型。あれはなんでだろう。
昔はブランドごとに色があって全然違うものをリリースしていたのに。
今はどの店に行っても同じものが並んでいる。
作っているのが効率化のおじさんだから?土の名残?
そういえば、ちいさな服のブランド(?)やメーカーがクリーマとかインスタでも
出てきてるなぁ。
私が着たい服を作る的なコンセプトの店が増えた。そしてやすい。
だれでも工場にお願いできる時代になったんだな。
時代はこっちだよね。