努力せずして持っているものについて。
生まれながらにして持っている才能、能力に対しては、
基準が厳しくなる気がしている。
美しさや頭の良さ、素直さ、お金を持っているとか、
そういうみんなが欲しいものを「持っている人」は「持っていない人」に対して、
どういう返答や気持ちを持つのが正しいんだろうか。
だって持っているから、持っていない人のことはわからないという部分は多少なりともある。
けれど、やっぱりそれだけじゃすまされない。
そして、こうやったらうまくいくというのはアドバイスしにくい。
無意識のことや恵まれていることを、他の人に転用させるのは難しい。
土台が違うというのは、決定的に違うのだ。
私の場合、生まれながらにして持っているものに対しては、基準が厳しくなりがちだ。
なんでできないの?持てないの?になってしまう。
持っている側は持っていない側との差が正しく把握できるけれど持てる方法は説明はできない。
持っていない側の人は持っている側との差がどのくらいか把握できない。
把握していると勘違いして、無茶なことをしている人も見かける。
そこに、努力すれば報われるという価値観がくっついてくるからタチが悪い。
努力しても報われないものはある。
私も持たないものに憧れて手を出したことはある。
差の把握を間違えた時は、気づいたら手放す。
反対に一度憧れて掴もうとしてしまったら最後、
手に入らないのにずっと努力し続けている人がいる。
そういう人がどんどん増えたのが今で、それがガラッと崩れ去ろうとしているんではないだろうか。
憧れていた人たちは、打撃を受ける。
反対に、それは無価値だから、手に入れようとしなくて良い。と言われて楽になる人もたくさんいるだろう。
同じように、生まれながらにして持っている才能、
能力を武器にしてきた人たちも崩れ去るのだろうか。
そうあって欲しいけど、持っていることは悪ではない。
欲しくて憧れているのに、生まれながらにして持っている人を悪だというのはおかしい。
今までみんなが憧れる欲しいものが
美しさや頭の良さ、素直さ、お金だとして、次は何になるんだろう。
この4つ自体が入れ替わることはあるんだろうか。
要素はこのままに、4つのバランスや中身が変わるのだろうか。
私は既に持っているものがあって、手放したくないものもある。
無価値にさせたくないとも思う。それは誰しも同じだと思う。
それを次の時代に生かすためにどう変容させるか、比率を変えるか。
それが試されている気がする。