投資と起業とホロスコープ観察日記。

2020年コロナ真っ只中に起業。7月から投資も開始。ホロスコープにハマってるので、からめて語ります。

女を取るか、人を取るか。

 

25歳くらいの時、話の中で同い年の男の人から

「女の人は、人として認められたいのか、

女として認められたいのかどっち?」

と聞かれたことがある。

 

私は即答で

「人としてに決まってるじゃん」

何言ってんだこいつぐらいに思ったけれど、

すぐに30すぎぐらいの女の人が

「私は女として認められたいけどなぁ〜」と言った。

 

 

はああああああ?!だった。

社会に出て仕事を始めてから、

どれだけ男性とフェアになれるか戦っているのに、

この人は女として認められたいんだと驚愕だった。

 

 

私は女として認められているから、人として扱われたい。

彼女は人として認められているから、女として扱われたい。

周りの聞いていた男性は声に出さないけれど、私も含めてそれを察知した。

 

私のがんばっている先に、彼女がいるんだと思った。

先に女性として認められるか、人として認められるか、

 

 

そして大体の場合、女の扱いは先にやってくる。

女性として認められるのは、ほとんど見た目だから持って生まれたものだ。

そのまま女として生きていくか、

人としても生きていくかを選ばなくてはならない。

少し前まではここで大体の人は女として生きてきたと思う。 

いまは違う。

人としても認められるために頑張っている。

 

だから、努力せず女性として扱われる人がいる中で、

女性として扱われるためにも努力をして、

人として認められるためにも努力をしなければならない人がいる。

 

そうなった時に、やっぱり美人は得だ。平等じゃない。

でも、女性として扱われたが故に、

人としてどこまで認められるかを手放した人もいる。

 

中学の先生が、ふいに

女として生きていくか決めるのは、

中3が境目と言っていたのを思い出す。

 

大学ですごくかわいい女の子と友達になったけど、

入学の時点で、母になって3人産むのが夢だと言っていた。

もう、ずっとそういう価値観でしか生きてこなかったんだろうなぁ。

あれも一つのスポイルされた結果だと思う。