投資と起業とホロスコープ観察日記。

2020年コロナ真っ只中に起業。7月から投資も開始。ホロスコープにハマってるので、からめて語ります。

機会均等のはざまで思うこと。

WEBを通してあらゆる人が必要な情報を得られるようになった。

ホロスコープもそうで、きっと昔は知る方法なんてほとんどなかったけれど、

今ならすぐに検索して調べられる。

私も十分に享受している。

 

ただ、誰もがアクセスできるとういうのは、

その情報を扱いきれない人たちも手にする。

そうすると、SNSとか掲示板の匿名サイト界隈は荒れる。

 

ざっくりいうと、ホロスコープは占いみたいなものだから、

当たる当たらないで判断される。

それが火種になる。良いとされる運勢でも私は不幸だ。

当たらないと言って、不満を撒き散らす人がいる。

 

そんなの当たり前じゃないと思うんだけれど、納得のできない人たちがいる。

 

私はホロスコープを知るまでのことは、

占いのように当たってた当たっていないで判断している。

過去のことだから、私の人生と照らし合わせられる。

 

でも、現在から未来のことはホロスコープを使うという意識でいる。

当てに行くと言ってもいい。

方向があっているならすぐにGOサインを自分に出せる。

危ない時は立ち止まることもできる。

ホロスコープを知らなかったら、今も悩みながら少しずつ進んでいただろう。

けど今はホロスコープという判断の基準が一つ増えたから、

人生のトライアンドエラーが早くなった。

私が会社をしようと思った頃にホロを知って、

会社設立に向いているホロだとわかった。

だから、これはもうそういう運命だと思って今準備をしている。

 

ホロスコープは人生を描く上ですごく有用だ。

だから私はホロスコープを使うし見る。

 

納得のいかない人たちは、当たる当たらないの観点からでしか見ていないように見える。

過去のことについてしかきっと見ていない。

未来をどうしたいか、今の辛さを軽くするためにどうすればいいのかが読めない。

きっとそれは、不幸でなくなるのが怖いのだ。

ずっと生きづらい。と言い続けたい人が一定数いるのだ。

与えられた幸せだけを幸せと思っているから待ち続ける。

それは運勢と呼ばれたりするから、しがみついてしまう。

 

楽して幸せになりたい。という欲が強すぎるのだ。

自分から手を伸ばして掴みにいったり努力するような幸せを、

頑なに幸せと呼びたくない人たちがいる。

そういう人たちは手にしてはいけないのだ。

 

 

そもそも過去の出来事で合ってないというのも

本当に合っていないのかもあやしい。

 

認識と事実はよくずれるから。

認めたくないことはきっと無意識でスルーしている。

私も含め人はそうやって自分を守っているところがある。

 

そういうことに無自覚なのに、

ホロスコープに手を出して余計に迷走している人がいる。

 

すごく雑にいうと、バカが手にしてはいけないものが世の中にはある。

でも、バカも手にすることで文化は発展する。

行き渡ることが大事で、様々な場所で議論されるべきだ。

そういう意味ではとても喜ばしいこと。

それでも、目の前にしたらマジでめんどくさいなと思うのも本心なのだ。

 

私のこのめんどくさいという気持ちが芽生えるのは、成長が足りないからだし、

きっとこの先色々経験したら、なんとも思わなくなるんだろう。

全部ひっくるめて、いいことだと心から思える日も来ると思う。

 

私が享受している時は便利な時代だと思うけれど、

変な人がたくさん増えるのを見ると、一部の人たちだけの特権で良かったのにと思う。

物事によって私が変な人側にいる時もあるし、特権側にいる時もある。

 

この流れがどんな平等を生むのかはわからない。

 

きっと表向きはすべて平等の世界の中で、

自分の強度、純度を上げていくということにつながるんだろうな。

それぞれがみんな素晴らしいというのは、私が素晴らしいと同義だ。

ちょうど水瓶座は左半球だし。

 

ホロスコープってよくできてるなあ。