機会均等のはざまで思うこと。
WEBを通してあらゆる人が必要な情報を得られるようになった。
ホロスコープもそうで、きっと昔は知る方法なんてほとんどなかったけれど、
今ならすぐに検索して調べられる。
私も十分に享受している。
ただ、誰もがアクセスできるとういうのは、
その情報を扱いきれない人たちも手にする。
ざっくりいうと、ホロスコープは占いみたいなものだから、
当たる当たらないで判断される。
それが火種になる。良いとされる運勢でも私は不幸だ。
当たらないと言って、不満を撒き散らす人がいる。
そんなの当たり前じゃないと思うんだけれど、納得のできない人たちがいる。
私はホロスコープを知るまでのことは、
占いのように当たってた当たっていないで判断している。
過去のことだから、私の人生と照らし合わせられる。
でも、現在から未来のことはホロスコープを使うという意識でいる。
当てに行くと言ってもいい。
方向があっているならすぐにGOサインを自分に出せる。
危ない時は立ち止まることもできる。
ホロスコープを知らなかったら、今も悩みながら少しずつ進んでいただろう。
けど今はホロスコープという判断の基準が一つ増えたから、
人生のトライアンドエラーが早くなった。
私が会社をしようと思った頃にホロを知って、
会社設立に向いているホロだとわかった。
だから、これはもうそういう運命だと思って今準備をしている。
ホロスコープは人生を描く上ですごく有用だ。
だから私はホロスコープを使うし見る。
納得のいかない人たちは、当たる当たらないの観点からでしか見ていないように見える。
過去のことについてしかきっと見ていない。
未来をどうしたいか、今の辛さを軽くするためにどうすればいいのかが読めない。
きっとそれは、不幸でなくなるのが怖いのだ。
ずっと生きづらい。と言い続けたい人が一定数いるのだ。
与えられた幸せだけを幸せと思っているから待ち続ける。
それは運勢と呼ばれたりするから、しがみついてしまう。
楽して幸せになりたい。という欲が強すぎるのだ。
自分から手を伸ばして掴みにいったり努力するような幸せを、
頑なに幸せと呼びたくない人たちがいる。
そういう人たちは手にしてはいけないのだ。
そもそも過去の出来事で合ってないというのも
本当に合っていないのかもあやしい。
認識と事実はよくずれるから。
認めたくないことはきっと無意識でスルーしている。
私も含め人はそうやって自分を守っているところがある。
そういうことに無自覚なのに、
ホロスコープに手を出して余計に迷走している人がいる。
すごく雑にいうと、バカが手にしてはいけないものが世の中にはある。
でも、バカも手にすることで文化は発展する。
行き渡ることが大事で、様々な場所で議論されるべきだ。
そういう意味ではとても喜ばしいこと。
それでも、目の前にしたらマジでめんどくさいなと思うのも本心なのだ。
私のこのめんどくさいという気持ちが芽生えるのは、成長が足りないからだし、
きっとこの先色々経験したら、なんとも思わなくなるんだろう。
全部ひっくるめて、いいことだと心から思える日も来ると思う。
私が享受している時は便利な時代だと思うけれど、
変な人がたくさん増えるのを見ると、一部の人たちだけの特権で良かったのにと思う。
物事によって私が変な人側にいる時もあるし、特権側にいる時もある。
この流れがどんな平等を生むのかはわからない。
きっと表向きはすべて平等の世界の中で、
自分の強度、純度を上げていくということにつながるんだろうな。
それぞれがみんな素晴らしいというのは、私が素晴らしいと同義だ。
ちょうど水瓶座は左半球だし。
ホロスコープってよくできてるなあ。