セオリーはどこまで通用するのか。
プロになってから、ベンチャー企業に入ったことがある。
会社が大きくなって人が増えてくると、それぞれの部門にプロが採用される。
私はそれになったことがある。
ベンチャーは正攻法を知らないので、
自分たちで見よう見まねでやってきた方法で仕事をしている。
入社した瞬間にそれをみて、やばいと思った。
同じ時期に入った社員たちはみんなそう感じていた。
何から手をつければいいのかわからない。何一つ正しくない。
私と同じプロたちは同じセオリーを持っているけれど、
生え抜きの人たちとは、共通言語もルールも何もない。
かなりカオスな状態で仕事をしていた。
それでも、業績は上がっている。
その時に、仕事の正しさってなんなんだろうと思った。
そして、私ですら古い人間なんだと感じた。
私がプロになるために学んだのは数年だけれど、
そのルール自体は何十年と続いて来たことだ。
その数十年続いて来たセオリーを背負わなくても、消費者が受け入れたらそれでいい。
それがベンチャーで学んだ一番大きなことだった。
やり方なんてなんでもよくて、
1から10まで順序よくこなしていかないと認められない世の中ではなくなって来た。
あの時感じた一種の喪失感は、今から始める一歩の勇気になっている。
私は何も知らない業界の仕事をこれからする。
その業界にも、古い時代からの色々なセオリーを背負って来ている人たちがいる。
昔だったら、その道はやめておこうと思ったかもしれないけれど、
私はもう、ルールはいらないと言うことを知ってしまった。
風の時代が本格的にくる前に、そういう経験ができたのは良かったと思う。
土の時代に身につけたスキルで、風の側に立つ。
なんて代わり身の早いやつだと思われるし、きっと言われると思う。
けれど、生き残るのには変化が必要なのだ。
セオリーよりも変化が大切、という私の結論。