情報との付き合い方。
家は最小のシェルターで、ここにいれば安全で平和というのが理想。
だから、色々な外部の刺激から守られているのはいいけれど、
ちょっとぼーっとしていたら、外の様子は一変する。
速度が違う。
コロナはまさしくそれで、気がついたら世間ではこの世の終わりのようなニュースばかりになっていた。
気にしていない人もいるのは知っているけれど、過敏な人たちの反応が思っていたよりも激しかった時は結構驚いた。
1ヶ月ほとんど家から出ていないとか。買い占めとか。
情報というのは取らないと不安になるし、取っても不安になるし、どちらにせよ不安になる。
判断する為の材料を探していたら、また新しい不明が見つかって、のエンドレス。
仕事をしていてこの沼は私はもういらないと思って結構前に捨て去った。
業界の最先端の情報をずっと追いかけている時期もあったけれど、
果たしてこれはいつ役に立つのか?
それよりももっと実益のある情報があるのでは?
ということに気づいてから、あまりにも行きすぎてる新しい情報は追わないことにした。
普通に生活していて、いま目の前で起こっていることの半歩先ぐらいでいいのだ。
10歩ぐらい先のものに憧れた時もあったけれど、それは自己満足でしかない。
そしてそれは情報の起点でやっている本人たちが楽しいんであって、その情報を集める私は何一つ楽しくないのだ。
起点と自分を比べてもしょうがない。
あと、自分が面白いと思う情報がわかったのも大きい。
私が面白いと思う情報は、本職の業界からちょっとずれたところにいつもあった。
だから本職の情報を集めてもだんだんわくわくしなくなったのだ。
小さなシェルターにこもっていて必要なものを適切に拾える状態をつくる。
いらないものは見ない。必要ならば目に入る。
そういう仕組みが大事なんだと思う。
とくに、SNSは変な人を一人フォローするだけで要らないリツイートばかりしてきて疲れることがある。
だいたいここ数日気分が悪いと思ったら、新しくフォローした人の質が合わないことが多い。
質の良い人をフォローする。その目は自分で磨かないといけない。