育て方より、生き様なのかもしれない。
最近、家族について考えることが多い。
母は私のことを大切に育てたというし、実際にそうだと思う。
娘命なのは私から見てもわかる。
でも、そのことに関してはありがたいけれど押し付けがましいと思っている。
それ自分で言うか?
ただ、夫いわく
「お母さんに感謝したほうがいい。その愛嬌はお母さん譲りだよ。」と
事あるごとに言われている。
ただ、私は母から、女は愛嬌だとか、愛嬌のある人はどういうものかなんて教わったことはない。
なぜ私は母みたいな愛嬌があるんだろうと考えていて、
母の生き様をみて、私はそれを習っているんだと気づいた。
どう育てたかよりも、母がどう生きているかを私は見ていたのだ。
そして、愛嬌があると得だと気づいたのだろう。
父の余計なことを言わずにずっと見守っているのも、
母と私が喧嘩をしても、どちらのの味方もせず中立を守り続けるのも、
そういう父の生き方だ。
私が何か一つのことが起こった時は、両方の意見を必ず同じだけ吟味する癖があるのは父を見ていたからだ。
それは決して対立でもなく善悪でもないのだ。
今の時代、育て方に注目が集まりすぎていて、自分のことがおろそかになっている。
だから子どもは戸惑うのかもしれない。
親は子どもに背中を見せろと言うのは正しい気がする。