投資と起業とホロスコープ観察日記。

2020年コロナ真っ只中に起業。7月から投資も開始。ホロスコープにハマってるので、からめて語ります。

美醜に対する反射と理性の戦い。

 

見た目で差別しない。

人として平等に扱うべきだ。

という流れだけれど、

これはどういう世界になれば成功なんだろうか。

 

綺麗な人やイケメンを見てドキドキして、

対応が変わってしまうのは、反射だからどうしようもないと思ってる。

それをいかに理性で殺して平等に扱うかということだと思うんだけど、

無理じゃない?

私だってイケメンきたら、わーイケメンー!ってなる。

 

こどもが黒人を見て、「あの人黒いのなんで?」って

大きな声で言って指差して恥をかいたというエピソードを見たことあるけど、

それも教育をして理性的な対応を覚えるからそういうことをしなくなるだけで、

本能で「あ、黒人だ。」と思う、その回路は止められない。

 

見た目が悪い私たちも平等に扱ってほしい。

それはその通りだけれど、全く同じにはならない。

美人と同じような扱いはされない。

ただ、最低限のその対応の仕方を今みんな覚えているところだと思う。

けれど、それ以上はないと思う。

 

人として平等であることは前提でもあるけれど、

男女として子孫を残すという前提も私たちは持っている。

異性として認識するのは本能だ。

ああ、この人は素晴らしいなとか、

この人のこども残したいなと思うと、

ドキドキしてしまうようになっている。

 

いま、本能に関わる態度をとても改めさせられている。

この反動ははたしてどうなるんだろう。

 

あからさまな性差別よりはいいと思うけれど、

あらゆる人は平等でないし全く同じでもない。

そのことを見ないふりをしている気がする。

 

 

 

月の欠損を感じた映画。

戦争の映画を見た。

爆弾を落として、民間人が巻き込まれる。

それに対して、投下する人が心を痛めて葛藤する。

 

敵を倒さないと、こちらに多数の被害者が出るかもしれない。

だからといって無関係な民間人を巻き込んでいいのか。

 

最近みた月の欠損で、

私は月蟹なので共感ができないと言われている。

 

私はこの映画を見て、巻き込まれる人の視点は持てなかった。

映画が爆弾投下側なのもあるかもしれないけれど、

どんな被害があっても知ったことではない。

むしろ、なぜ心を痛めるのかと思ったぐらいだ。

戦争は勝たなければ意味がないんだから。

一掃せよという指示に疑問は持たない。

 

頭では被害者の気持ちも、理不尽さもわかるけれど、

それは知っているというだけで、共感できるかと言われたらしない。

 

戦争で、女子供を狙うなんて卑怯というのもよくあるけれど、

なんで女子供だけ特別視してかわいそうと思うのかもわからない。

男性も同じだと感じる。

 

特別に入れ込んだ共感みたいなものができないんだなと、

昨日映画を見ながら思った。

 

月の考察と太陽の獲得。

 

26歳からの太陽期で自分の太陽を獲得しないといけない。

その時に結婚して夫の陰に隠れてしまうと、

夫の肩書きで生きていかなければならなくなるらしい。

 

ということは、男女にかかわらず30ぐらいで結婚しない限り、

ずっと太陽の獲得はなされない。

太陽が蟹や蠍だったらいいのかな。

結婚が太陽の獲得に直結してるし。

 

でもそれ以外の星座だったら、太陽を手放さなければならない。

反対に太陽を取りにいった女性で、結婚できずにいる人もいる。

 

私も太陽を取りにいったタイプだけど、結婚しない可能性もあった。

むしろどんどんそうなっていく。

無理やりシフトして短期集中で婚活したから結婚できたけど、

うっかり仕事してたわ、ってことは大いにあり得る。

 

男女ともに26~35は太陽を獲得する人生って、可能なんだろうか。

そのあとの火星期は取りこぼしたものを取りに行くという意味もあるらしい。

 

女性は火星期で本気を出さないといけないということなのかな。

家庭はあっても、社会での取りこぼしは多いと思う。

結婚している男は逆かもしれない。家の中での取りこぼしが多くなりそう。

 

 

ホロスコープを生きるって難しい。

 

 

ブランドはどうなるんだろう。

 

ブランドになると、

すごく高く売れるから、みんな目指す。

 

どうしたらブランドになれるか商品を考える人、

メーカーを作る人は考える。

 

まったく同じ商品でも、

ブランドのタグがつくと10倍になるというのは、

最近の人は知っていると思う。

 

肌感覚ではわからないかもしれないけれど、

たとえば、AというブランドとBというブランドがあった時に、

同じ会社から材料仕入れをして、商品を作る。

それが服の繊維でも、化粧品の成分でも同じことで、

最後の値付けでどれだけのせられるかがブランドの力。

 

みんな同じだけ価格をのせていない。

最近は、適正さを求められているから、原価率を告知している会社もある。

そういう会社はセールはしないみたい。

正しいと思う。

すごく理にかなっていてクリーン。

 

ブランドは積み上げてきたものの集大成だ。

価値をどれだけ上げられるかが勝負。

商品の質と乖離していると言ってもいい。

精神的な安心感、満足度にお金を払っている。

 

そういうのが、だんだん効かなくなってきた気がする。

今我慢して、お金を貯めて、いつか手に入れたい。

という行動を最近の人は取らない気がする。

 

今、私を満足させてくれるのかどうなのか。

だって先のことはわからない。

今、無理なく、気分よく買えるものに価値がある。

 

自分が変わることもわかっているし、

自分の変わらない部分も理解している。そんな気がする。

ブランドが高価格というスタイルで担保していた、

安心感と満足度は、

適正価格と手に入れやすさに切り替わりつつある気がする。

 

 

ブランドをぶら下げているものが、ダサいと思われる。

あなたのオリジナリティはどこにあるの?

ブランドは素晴らしいかもしれないけれど、あなたは持つにふさわしいのか?

と、思われるようになってきた。

 

特に日本は、あまりにも背伸びしたものを持っていても、良しとされている。

少し古いけど、女子高生でヴィトンとか。今でもいるのかな。

商品の力にだけ価値観が振れているから、自分とのバランスは関係ない。

 

もともと海外から入ってきたブランドの文化だから、

日本人は扱いがわからなかったのかもしれない。

いわゆるミーハーになってしまった。

 

40歳の女性が持つヴィトンはやっぱりかっこいい。

その人が手に入れる時に無理していないものが似合う。

無理しているものはバレる。そういう風になっていくんだろうなと。

 

ということで、

これからのメインの消費者は、どこをむいているんだろう。

ブランドではない気がするんだよなぁ。とずっと思っているけど、答えが出ない。

 

 

 

会社の悪に対する態度。

 

 

最近思ったこと。

私は仕事をもらう立場なんだけれど、

やりたくない会社の仕事は次から断ろうと。

 

会社は善ではない。

たとえば、かんぽ生命みたいなの。

 

社会からもう必要とされていなくて、

でも生き残るために、グレーな仕事をしている。

それを加担するような仕事はしたくないなあと。

必要とされていない会社は、淘汰される。

それは消費者にもだし、協力会社からもだ。

 

個人が強くなって、NOを突きつける力を持ってきた。

 

お金は欲しいけれど、お金を稼ぐために、

悪い会社の応援はしない。

わたしの Don’t be Evil。

 

そして私は、Do the Right Thingするために、仲間といきていくのさ。

 

毒親グレーゾーン。

親は毒親グレーゾーン。

悪気のない毒親

愛情もあるけど毒もある。

まぁ、私がこういうふうに疑ってる時点でお察し。

 

あまり関わらないように減らしていこう。

私はあなたから生まれたけどあなたのものじゃないし。

一人であなたの夫とどうにかして。

こどもはこどもの人生があるし。

 

 

ああ、私がしっかり育ってきたのは

母のおかげでなくて、

父のおかげだったのかも。

 

私が周りからしっかり育ててもらえて、とか、

愛情深いとか言われるのは、

母由来じゃなかったのかもしれない。

 

子育ては母がするものだから

母のおかげかと思ってたけど。

 

 

 

地獄を見つけるのがうまい人。

周りにいる。

ちょっと前の日本死ねみたいな、

暗いグチみたいな社会病理みたいな、

そういう情報に詳しいひと。

 

よく見つけてくるなーと思うし見るとなんだかんだ暗い気持ちになる。

 

もう嫌だからやめよう。

さよなら深淵を除く人。

私も引きずられてたらバカ。