イメージの強さに人は勝てない。
女優さんの事件を見て、イメージって本当に強烈だなと思った。
清純派を演じていたらそのイメージから離れられない。
CMのキャプチャを見て、こんな風に笑っていたら本当にわからないと思った。
どれだけのことをしても、悪くないんじゃないかとか、
そういう気持ちを起こさせる力がある。
それは仔犬を見て、もう連れて帰る!と思わせる本能に近い部分の動き。
抑制できない。
最近は外見についてとやかく言わない。
すべてはそのままで美しい。比べるものじゃない。
そういう理性的な価値観になってきているけれど、
やっぱり本能に来る圧倒的な美しさってそういうものを吹き飛ばす。
だから、芸能界はイメージをつくることに心血をそそぐんだな。
その人がどういう人であろうと、見た目だけで売り方や路線を決める。
それが圧倒的な力を持っているから。
美しいってなんの価値もない。
ただ、生まれ持ったもの。
そんなふうな世の中になってきているけれど、ぜんぜんそんなことないじゃん。
理性はどこまで勝てるのかな。
花や緑を見て、美しいと思った気持ちはやっぱりどうしようもない。
大きな目的から。
ボトムアップで積み上げていくのも大事だし、そっちの方が得意。
だって外しにくいし論理的だから。
逆のトップダウンはバカだと思っている。
上が決めたもののために帳尻を合わせる仕事をしていたので、
苦労がわかるからブレーキがかかる。
私はあくまで雇われ側で、
何かを具現化する手段でしかなかった。
それをやめて、これをするからみんな動いてと言う立場に行かなければならない。
プレーヤー根性がつきすぎてもダメだなあと感じた。
夢を語る部分の強さが大事。
なにがなんでもそれというブレない指標。
なんでも始まる時は、大きい目的とか野望がある方がいい。
どこまで連れて行ってくれるのか、わからない方が楽しいから。
ということで、大きな野望と直面しはじめた。
勘違いしていたこと。
無意識に、
「もう殻は破り終わったから、あとは深めていくだけだなぁ〜」と思っていた。
よくよく考えたら、そんなわけないし自分でわかることでもない。
これから私はまだ殻を破り続けなければならない。
何歳になったら終わりというものでもない。
殻を破り続ける大変さはサタリタで十分味わったんだけど、
まだやり続けないといけない事実にちょっとびびる。
年いくほどに殻はむしろ厚くなるから、こまめに破壊しないとね。
柔らかさが大事。
嫌なことを数えてカウントダウンをはじめよう。
春に見積もり出して、仕事に着手して、
遅々として進まないけど何回か手をかけているやつ。
このまま頓挫かなと思っていたら、
請求しましたか?と聞かれたので、してないよ。と言ったら、
見積もり無くしたからもう一度ください。って。
私のメールでは送信履歴にめっちゃ残ってるけどな!
同じ日付の見積もり出した。
こういうことあると、うーんとなる。
嫌なことを肥大化させて、このままじゃだめだよね。
うんうん。そうだよ〜って自分を励まして、
私は渡り歩いてきたのだ。
最近、嫌なことがなさすぎて全然動く気配ない。
焚きつける風がないなあ〜自分で火の起こし方がわからん。
と思っていたところなので、こういうことがあるとちょっと嬉しかったりする。
私の原動力は、不快!からはじまる。
普段と違うことをすると、新しい刺激と出会う。
啓発本によく出てくるキーワードのひとつに、
普段と違うことをしよう。
仕事からの帰り道を変えるだけでもいい。というのがある。
まあその通りだよなーと思って行きてるタイプの人間なんだけれど、
この間久しぶりに夫とバーに行った。
いつも2人きりで過ごしているので、他人がいるのは新鮮だった。
その店は何度か通っていて顔も覚えられているんだけれど、
私が行く日は結構いつも変わった日で、
その店で一番高いボトルが空いて少しもらえたり、
お酒の世界でとても有名なひとの親族が来た日に居合わせたりする。
オーナーからは、あなたがくる日は店で何かがある。
めちゃくちゃ暇な日いっぱいあるのに…。と言われた。
どの日も普段できないことができて、
帰ったときはいつもほくほくする。
そりゃ飲食代金は家で飲むよりかなりかかる。
夫からは家だったらこれだけ安くすむのに〜とケチ論を言われるけど、
これだけの体験は、家にいてもできないんだから、
その分のお金だよといったら、それもそだね〜と納得したふうでいた。
私の夫はケチ所以の機会損失男なので、
何かケチろうとするときは「機会損失男〜」というと、
はっと気を取り戻して乗ってくれる。
夫はあまり冒険心ないんだよなー。
太陽固定宮だからかな。と思っている。
私はもちろん柔軟宮。