結婚は客観を遠ざける。
ひとりだったとき、自分を客観的に見るのに、
すごく労力を割いていた。
今自分はどうなのか、正しいのか、かわいそうなのか、
良いのか悪いのか、選択は、判断は、成長しているのか。
自分のことほどわからなくて、さまよう時がある。
見ようとすればするほど溺れて底に沈んでいくような感じ。
今の私は、客観的になる必要に迫られていない。
だから、自分のことに対して穏やかだ。
なぜ客観性が必要でなくなったのか?
私の客観的に自分を見る理由は、
どんな仕事と男性から選ばれるのか、
自分が何を選べるかを知るための作業だったから。
自己分析の結果、最大の効果を得たかった。
客観的になる必要に迫られていない。と書いたけれど、
本当は客観的に見ないといけないのに、
怖くて見ていないだけかもしれない。
だから、ちょっと自分のことを客観的に批評してみようと思う。
フリーランスは夫がいるからなれたんでしょ。
ひとりならなれてなかったんじゃない?
それでフリーランスを名乗るなんて、おこがましい。
結局、社会不適合者で、会社にいられないんでしょ。
好きなことばかりして嫌なことから避けて逃げてるだけじゃないとかとか。
もし、私の友人で結婚してフリーランスになったら、
夫が稼いでいるんだろうなと思うし、
趣味で片手間で仕事をしているやつなんかに、負けないとも思う。
そういう働き方をしていると、そのうちヘタこくよとも。
1人で自己完結しているのは凛としてたくましい。
私もそうだった。
でも今は、すべての境界線がない。
生活も仕事もお金もなにもかも。1人で切り離せることなんてない。
結婚して夫ができて、使えるものは使った結果、
楽な働き方で生きられるようになった。
楽な働き方ができるパートナーと結婚できるように、
客観的に自分を見て調整していって、
働き始めて10年くらいでそれができた。
今の私はそういう状態なのだ。
さっきの反論をすると、
じゃあ、あなたもそうなるように客観的に自分を見て、
自分を育てていきなさいよ。ということになる。
そう思うと、今時の婚活は向いてる人と向いていない人が
きっぱり分かれている。これはほとんどビジネスだ。
自分が選ばれる側であり、何を選べるか両方を考えないといけない。
結婚は客観を遠ざけていくなぁ。
これからもうちょっと客観視しないと。
私はこれから仕事で選ぶ立場になっていきたいから。